第24回 温泉学会 長野・湯田中渋温泉郷大会 開催のご挨拶

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長野県北信濃の志賀高原の入口にある湯田中渋温泉郷。横湯川、夜間瀬川流域に点在する湯田中・渋・上林・地獄谷などの10ヶ所の温泉郷を言います。長野電鉄湯田中駅から近い場所に位置し、今年8月31日~9月1日に温泉学会長野・湯田中渋温泉郷大会を開催する温泉郷です。その中で、今回の会場となる湯田中温泉は、古い旅館や規模の大きなホテルなどが軒を連ね、同駅から夜間瀬川沿いの高台に向かって土産物屋や飲食店などが点在し、温泉街を形成しています。ここで人気の共同浴場は、大湯・綿の湯など9ヶ所があります。「大湯」は、日本温泉協会発行の冊子「温泉」の「共同浴場番付」において、西の横綱の道後温泉と並んで東の横綱に選ばれています。是非入浴してみてください。 湯田中温泉の歴史は古く、文献に残る開湯は、7世紀頃の天智天皇の時代に僧智由によって発見され、「養遐(ようか)齢(れい)」と名付けられたとされています。それが現在も同じ場所にある共同浴場「大湯」です。同温泉は、別名「養遐齢」とも呼ばれ、長命長寿の湯と言われています。

また古くは草津街道の宿湯の街であり、湯治場でありました。肌に優しい湯田中の湯は、硫黄の強い草津温泉に入った後の「あがり湯」として重宝されてきました。松代藩の真田氏は、湯田中の温泉を愛し、城にも温泉を届けさせ、「真田の隠れ湯」とも言われていました。また小林一茶の門弟であった湯田中湯本は、旅籠登録制度が施行された時の第一号です。

同温泉郷の中で、近年欧米をメインにたくさんの外国人旅行者が訪れている場所があります。それは、地獄谷温泉の中にある「地獄谷野猿公苑」です。1964年の開苑以来、一年を通じてニホンザルの興味深い生態を観察できる場所として多くの人々に親しまれてきました。そこは、長野県北部の国立公園志賀高原を源とする横湯川の渓谷に位置する地獄谷で、厳しくも豊かな大自然の中で、サルたちは暮らしています。

1970年、アメリカ「LIFE」誌の表紙に掲載されたことで、雪の降る寒い冬の時期に地獄谷野猿公苑や地獄谷温泉後楽館の温泉に入るサルたちとして世界中に知られることとなり、近年はこのスノーモンキーを見るために来る旅行者が大幅に増えています。暖かい季節はサルが温泉に入ることは少なくなりますが、生まれたばかりの赤ちゃんザルや、元気に遊び回る小ザルたちの姿を見ることができます。それら同温泉郷の今昔の状況をふまえて、今回の大会は、「外国人旅行者が日本の温泉に求めるもの」という大会テーマで大いに意見を交換したく、本大会を開催することに至った次第です。

第24回温泉学会長野・渋温泉郷大会

      大会実行委員会 委員長

大川 哲次